「禅語ブログ『日々是好日』」vol.32「離見の見」2

9月 8日, 2020 更新 アーカイブ, 禅語ブログ

父の死とともに変わってしまった

高齢の母との関わり方がわからない

 

 

 

相談者 50歳 主婦 (夫53歳 息子18歳) 
自営業(母親から受け継いだ化粧品代理店を経営)

 

 

Q、高齢者用のマンションで
一人暮らしをしている
80歳の母とのことを相談したいです。

 

半年前に父が他界して、
何事にも前向きだった母が
別人のようになってしまいました。

 

以前は、仕事と家庭を両立し、
多趣味で、行動的で社交的な女性でした。

 

晩年は家族の反対を押し切って
ヒマラヤ登山を強行したり・・・

 

どんどん自分の可能性を
広げてゆくような人だったんです。

 

でも、今は全く違うのです。

 

私の都合などお構いなしに電話をかけてきて、

 

「お父さんがいなくてすごく悲しい、
寂しくてしょうがない、
生きているのが辛い」

 

と、泣き言と、愚痴ばかり・・・

 

電話を切ろうとすると
途端にきげんが悪くなって、
悪たれをつくんです。

 

もう、まるで子どもです。

 

忙しい時はつい我慢できず、
喧嘩になったこともありました。

 

今は、きつい言葉を吐きそうになる自分を
必死で抑えています。

 

かかりつけの病院の玄関で、
弱々しく私の腕につかまりながら
歩こうとする母に、嫌悪を感じてしまった
ことがありました。

 

母のあまりの変貌に
ついて行けないのだと思います。

 

でも、なんか自分が情けないんです。
自分を責める気持ちにもなります。

 

父がいないこと、私だって悲しいんです。
もう、いろんな感情が湧き上がってきて、
混乱しています。

 

私は、どうしたらいいのでしょうか?

  

。。。

 

 

心理的には、
一度に両親を失ったようなもの。
客観的に自分を眺めてみましょう。

 

 

ご質問ありがとうございます。
禅メソッドマスターの
鈴木慧嘉(すずきけいか)です。

 

 

一家の大黒柱であるお父様が亡くなって半年、
お母様とあなたの寂しい気持ち、
お察しいたします。
本当にご愁傷様でした。

 

ご相談の文章を拝見して、
ご両親に対する愛と感謝が伝わってきましたよ。

 

ぜひとも、お力になりたいと思います。
少し状況を整理してみましょう。

 

大切な家族との別れは、人生の大きな課題です。

 

両親の死に慣れている人などいないのですから、
避けて通ることはできない
大きな難所と言えるかもしれません。

 

 

お母様にとっては、大切な伴侶を失うという、
はじめての経験。

 

そして、あなたにとっても親を失う
はじめての経験です。

 

立場は違うけれど、お二人とも、
同じような境遇です。

 

さらに、あなたにとっては、
本当に活動的なお母様でいらしただけに、
その変貌から心に受けた衝撃も
大きいことでしょう。

 

それにもかかわらず、
お母様を支えていこうとされている
お気持ちはとても立派です。

 

 

そんなあなたに
お伝えしたい禅語があります。
能の世阿弥の言葉

 

「離見の見」
(りけんのけん)

  

です。

 

 「おやすみ前の5分禅」で島津清彦学長は
以下のように言っています。 

  

この言葉は能の舞台に立つ際に、
舞台に立ちながらも
自分自身を観客席から見ている意識を持て、
と言うことです。

 

離見」に対して
自分自己中心的な狭い見方を
我見」と言います。

 

私たちはついつい伝えたい気持ちが先行して、
この「我見」に陥ってしまうことがあります。

 

 

なかなか自分のことは
客観的になれないものですが、
心理的には

 

「一度に両親を失ったような状態」

 

と考えてみてはどうでしょうか?

 

 

そんな!縁起でもない・・・

 

そう感じられたでしょうか。

 

でも、今はちょっと騙されたと思って
「我見」から離れてみるのです。

 

そして「あなたが過去に知っていたお母様」は
いなくなった。

 

このような捉え方を提案したいと思うのです。

 

お互いの変化を受容しましょう
恐れることはありません。
そして、相手の反応に一喜一憂しない。

 

誰だって、忙しい時に長々と愚痴をこぼす
電話をかけてきたらイライラすることもある。

 

 

ましてや、家族に対しては
自分の状況も察して欲しいと思うのは
自然
な感情だと思います。

 

でも、人生は有限です。

 

お母様との会話も、喧嘩でさえも
いつかできなくなる時がきます。

 

ちょっと厳しいことを
お伝えすることになるかもしれませんが、
ここはぐっとこらえて聞いてくださいね。

 

 

私達の未来のことで、
はっきりわかっているのは

 

『いつか死ぬ』

 

ということ、
ただそれだけです。

 

 

ここは「離見の見」という観点で、
両親をともに失ったと
想像してみましょう。

 

あるいは、いずれあなたも
息子さんやご主人と別れることになります。

 

「他人事」ごとだと思っていたことは
なんのことはない「自分事」になる可能性もあります。

 

 

ちょっと過激かもしれませんがポイントは2つです。

 

1、もうすでに別れていると考えてみる。

2、立場を入れ替えて考えてみる。

  

さぁ、いかがでしょう。

 

 

今そこにいらっしゃるお母様に
今までとは違う感情が生まれてくるかもしれませんし、
こないかもしれない。

 

何ごとも「そうでなければいけない」と考えずに
「例えばもし、そうだったとしたら…」と
想像してみるのです。

 

そして、ゆっくり一呼吸しましょう。

 

あなたの中に新しい観点が生まれてきませんか?

 

。。。

 

 

人は歳をとります。
老いるということは、
様々なものを失っていくことです。

 

 

神様からお借りしているこの身体を、
どれだけ大切に使わせていただくことができるか?

 

この観点もまた、離見ですね。

 

 

人それぞれに違う考え方があって良いと思います。

 

 

ただ、今こうして、
元気に毎日の生活を送ることができていることに
感謝し、
自分の身体に感謝することができれば、
新しい見方を得ることもできます。

 

 

「自分の身体から少し離れた
ところから自分を眺めてみる」

 

これが「離見の見」です。

 

 

今は、あなたが出来ることをするだけです。

 

 

そして、最後にもうひとつお伝えしますね。

 

お母様がどんな反応をなさっても
あまり気に病むことはありません。

 

あなたがコントロールできないことに
一喜一憂することはないのです。

 

自分の思いが伝わっても、伝わらなくても、
とにかく出来ることをしてみましょう。

 

もうそれだけで、十分なのですからね。

 

ご質問ありがとうございました。
陰ながら応援しています。

 

 

 禅メソッドマスター 鈴木慧嘉(すずきけいか)

  

  

参考文献 おやすみ前の5分禅 島津清彦