「禅語ブログ『日々是好日』」vol.78「和顔愛語」

4月 1日, 2022 更新 アーカイブ, 禅語ブログ

こんにちは、島津です。

今日はアカデミー修了生
禅メソッドマスター忠内樹さんの
ブログをお届けします。

。。。。。

忠内樹(みき)です。

「和顔愛語」(わげんあいご・わがんあいご)

穏やかな顔で優しい言葉を使うと、
自分に優しくなれるし、
周りにも優しくなれる、

と解釈しています。

自分探しの旅の真っ最中の私は、
どうしても不安に駆られて
愚痴っぽくなってしまいます。

でも、
愚痴を並べても何も変わらないし、
それを聴いているのは
自分であることに気付きました。

自分に優しく、笑顔になれるかどうか、
優しい言葉を使えるかどうか、
それを判断軸にしていきたいと思います。

<和顔(わげん・わがん)>

七福神巡りをした折、
たくさんの仏様に出会いました。

仏様の顔は、
穏やかな顔もあれば、
恐い顔もあります。

その表情によって
安心して包まれて心が温まったり、
気が引き締まったりします。

人は知らないうちに
相手の表情の影響を受けているのですね。

だからこそ「和顔」が必要だと思います。

「表情がかたい」と言われたときに、
自分が穏やかになれることを思い出すと
和顔に近づけるのかもしれません。

私の場合、
海辺で波の音を聴いているとき、
自然の中で鳥のさえずりを聴いているとき、
心に余裕が生まれ、ほっとします。

そういう意味でも、
緊張しているときは
できるだけ自然音に意識を向けて
過ごすようにしています。

<愛語(あいご)>

私は「お笑い」が苦手です。

「ぼけ」と「つっこみ」の
「つっこみ」が特に苦手です。

私がよく目にしていた
「つっこみ」は
攻撃的で暴力的。

なんで叩くんだろう?
なんで怒鳴るんだろう?と、

やっちゃいけないと言われてきたことが
平然と行われていました。

演技だとわかっていても、
「この人怖い」と思ってしまいます。

これは自分が使う言葉も
同じだなと感じました。

自分が使う言葉が強いと、
その言葉を発している自分も
耳にしています。

つまり、
自分が苦手な言葉を発していて、
それを自分で聞いてしまっていたことで、
自分で自分に恐怖を与えていたことに気付きました。

お笑いの終わり方は
パッと画面が切り替わるように転換して、
さっぱりしています。

だからこそ、
あとを引きずらないのかもしれません。

でも、自分の声は、
ずっと自分自身が聞いています。

だからこそ温かい言葉のシャワーをたくさん発し、
自らもそのシャワーを浴びたいと思います。

Zenjoy !

禅メソッドマスター
忠内 樹