こんにちは。島津です。
今日はアカデミー修了生
禅メソッドマスター忠内樹さんの
ブログをお届けします。
。。。。。
「日日是好日」
(にちにちこれこうにち)
私はどんな日であったとしても
「いい日かどうかは自分次第」
と解釈しています。
先日、
「弱さがあっても
怖さのない社会をつくる」
というセミナーを聴きました。
“弱さがあっても怖さのない”って
どういう感じなんだろう?と思いつつも、
ちょっと怖さに敏感な私にとっては
怖さのない社会であってほしい
との思いもあり
聴講を決めました。
その中で大きな気付きがありました。
“ジャッジをしない”
ということの重要さです。
「ジャッジする」
「ジャッジされる」
それを気にし過ぎてしまうから
いろんな感情が湧き、
まみれてしまうのではないか、
という問いかけでした。
好き・嫌い
良い・悪い
得意・苦手
すべて
自分の中にある判断軸で
自分が“ジャッジ”しています。
人に“ジャッジ”されるかも、
というのも、
結局は自分がそう“ジャッジ”している、
ことになります。
自分も“ジャッジ”しないし、
相手の“ジャッジ”に左右されない。
今まで自分が感じていた「怖さ」は
自分の思いこみかも、
と気付かされました。
。。。
「嫌なことがあっても、
そこから何かを学べばいい!」
よく言われることではあります。
でも、正直なところ、
私はそこから学ぶ気になれませんでした。
「嫌なことなので嫌」
私の意地だったのかもしれません。
「嫌」ということに執着し、
いつのまにか自分の中で
受け入れたくないと、
“ジャッジ”をしていたのです。
実際、私は、
同僚の指示を理解できなかったとき、
理解できるように説明しない、
説明する努力をしない同僚が悪い、と
その人を否定し、拒絶していました。
その結果、
共有される情報が限られ、
仕事を進めることに限界を感じ、
プロジェクトの進捗遅延につながりました。
もし、
私がその同僚のいうことを
“ジャッジ”をせずに聴いていたら、
プロジェクトをスケジュール通りに
進められていたのかもしれません。
。。。
身の回りの人との関わりの中で、
さまざまな“ジャッジ”に、
左右されても、
左右されなくても
「日日是好日」です。
良いことがあっても
悪いことがあっても
全部決めているのは自分。
そのまま、ありのままに
過ごすことの大切さに
あらためて気づかされました。
自分らしく
毎日を楽しみたいと思います。
禅メソッドマスター
忠内 樹(みき)