こんにちは。島津です。
40代も後半になった頃、
当時50代の先輩に
こんな質問をしたことがあります。
「40代と50代って、
何が一番変わりましたか?」
尊敬する先輩は
穏やかな口調でこう言いました。
「う〜ん。死ぬっていうことが
よりリアルに感じるようになったかなぁ」
果たして…
56歳になった今、
先輩が言ったその言葉を
実感している自分がいます。
「死」というのは
なかなか実感できませんよね。
なんなら考えたくない、みたいな。
ただ僕は少し変わっていたのか
30代半ば(人事部長だった頃)
200名を超える幹部たちを前にした
月例会議のスピーチで「遺書」について
話したことがあります。
中身は長くなるので割愛しますが、
他の人と比べて「死」というものを
若い頃からどこか受け入れていたように思います。
ジョブズじゃないけど、
「今日が人生最後の日だったとしたら?」
自分に蓋をする理由があるだろうか?
人目を気にして、
やりたいこと、言いたいことに
蓋をするだろうか?
死ぬ時の後悔は、
「やったこと」より
「やらなかったこと」の方が
断然大きいと聞きます。
ありのままに、
本当の自分を生きなかったら、
死ぬ時にきっと後悔するでしょう。
。。。
本当の自分が出せないのは
他人のせいではなく、
間違いなく自分の心にある
ブロック、ブレーキのせいですよね。
坐禅を組み、
自分と向き合い続けてきたのは
自分の心に潜むブロックを
取り払うためだったのだと思います。
『融通無碍』(ゆうずうむげ)
という禅語があります。
滞ったりつかえたりすることのないこと。
転じて、考え方や行動が何物にもとらわれず
自由でのびのびしていること、の意です。
。。。
今でも岐路に立った時の判断基準は
「死ぬときに後悔するか?」
から変わっていません。
「ありのまま」の自分を生きるため
生き続けるために、今日も座ります。
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株式会社シマーズ 代表取締役
禅メソッドアカデミー 学長
島津 清彦