「禅語ブログ『日々是好日』」vol.57「禅リトリート」

9月 11日, 2021 更新 アーカイブ, 禅語ブログ

こんにちは。島津です。

今日は、
禅メソッドアカデミー
マスター講座(第6期)の禅リトリートの様子を
ご紹介したいと思います。

(リトリートは緊急事態宣言が発令される前に
 千葉県君津市で開催されました)

レポーターは、
参加者でもある 忠内 樹(みき)さんです。

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はじめまして、 忠内 樹(みき)と申します。

今日は私が受講しているアカデミーの
プログラムの一つでもある
禅リトリートについてレポートいたします。

禅は、お日様のように、
そのときそのときで表情が違います。

禅の教えもお日様もそこにあって、
でもそこにいる人にとっての響き方、感じ方は
コロコロ変わります。

私にとって禅は、
自分の状態に気づかせてくれるものです。

禅語に触れ、
その言葉からいろいろ考えることで
自分がどう感じるか……

心が晴れる日も心が曇る日もあります。

禅メソッドアカデミーでは
節目節目で「禅リトリート」があります。

今回は「きみつのさんぽ道」というところで
リトリートしました。

前日からソワソワしていた私、
まるで遠足前日の子どものように
ワクワクしていました。

この日は、
梅雨の最中だったのに……
天気予報はずっと雨だったのに……

なんと見事に晴れました。

そんな好天の中、
禅リトリートがスタートしました。

【遠離】(おんり)

仏教の教え
「八大人覚(はちだいにんがく)」の
3番目にある「遠離」

いつもの場所からちょっと離れて
自然の中に身を置くことです。

現実から離れることで、
気付きが得られたり、
自分と向き合ったり、
とらえ方は人それぞれです。

養蜂家テルさんの案内で
早速「きみつのさんぽ道」を散策しました。

その途上、
 アリの巣やモグラの穴が気になる人、
 幹に抱きつく人、
 地面に寝そべる人、
みんな湧き上がる感情の赴くままに
自由に過ごしました。

私はいろいろな葉っぱの形が気になり、
その表情からいろいろな想像を膨らませて
楽しみました。

自然に囲まれた空間にいるだけで癒やされます。
また、スマホやデジタルデバイスを外して過ごし、
ただ自然のままあるがまま過ごすことを体験しました。

自然に身を任せて過ごす、
当たり前のことなのに普段意識していないことです。

時間を忘れて過ごすことで、自分のペースを知り、
自分のペースで過ごすことの心地よさを知りました。

ときどき窮屈な感じがするときには、
この体験を思い出して深呼吸したり、
散歩したりしてみようと思います。

【行住坐臥】(ぎょうじゅうざが)

禅の修行にはいろいろあります。
坐禅もあれば、歩行禅もあります。
他にも、食禅、立禅、掃除禅など、
生活すべてが修行になります。

散策の途中、芝生の上で、裸足になって
大地を感じながら歩行禅をしました。

最初は足の裏がくすぐったいのが、
慣れると大地を踏みしめている感覚が
心地よくなるそうです。

日差しがダメな私は、
皆さんが歩行禅をしている間、
日陰で坐禅をしました。

大地の上での坐禅は、
自然との一体感を感じられ、
安心感に包まれました。

森の中では、自由時間もありました。
私は大きな木の麓で
大の字になって空を見ていました。

久々に地面に寝そべり、
いつもなら苦手な虫も気にならず、
ただただ背中で地面を感じていました。

アースみたいな感じで、
身体中のモヤモヤが
地面に吸い取られてスッキリしました。

自然の中で、
木々が風で揺れる音、
鳥の囀り、
ハチの羽音、
いろんな音のする中、
森の風を感じ、
大地の匂いを満喫しました。

五感を研ぎ澄ます時間になりました。

【百不知、百不会】

(ひゃくふち、ひゃくふえ)

午後は室内で学びの時間。

禅語カードを使って、
たくさん気づき合う時間になりました。

知っている禅語、知らない禅語、
惹かれる写真、惹かれる言葉。

禅語カードのワークショップでは
たくさんの気づきがあります。

今回は、
自分のビリーフ、思い込みや固定観念を知る
ワークをしました。

私は「百不知、百不会」という
禅語から様々な気づきを得ました。

何も知らず、何も会得していない者こそ
実は素晴らしい、という意味です。

知らないからこそできること、
そこに価値があるとも解釈できます。

仕事でも、勉強でも、
プライドや遠慮があって人に聞けない、
聞きたくないときがあります。

そもそも聞かないとわからないことは
世の中に溢れていると私は思います。

何も知らないから……
何も会得していないから……
だからこそ、何でもできると思うのです。

以前、部署異動を経験したときに、
手続きがわからず、
近くの席の方に質問しました。

受け取った答えがわからず、
再度質問したら、
「こんなこともわからないの!?」という
対応をされてしまいました。

そのときの相手の態度が嫌で、
その後、その人に、
質問することができなくなりました。

もちろん、
その人がそのタイミングで忙しくて
対応が冷たく感じただけなのかもしれません。

もし私が丁寧に質問をしていたら……


この部分がわからないと
明確にわからない部分を提示して質問をしていたら……

その人の対応は変わっていたのかもしれません。

これは知らないからこそ
できることなのかもしれないと感じました。

新天地は、
人生の中でいつでも現れるものです。

だからこそ、
この「百不知、百不会」という禅語を思い出して、
知らないからこそできることということを
大切にしたいと思いました。

【禅リトリート】

自然散策、禅語ワーク、起きていること、感じること、
すべてからいろいろな気づきを得ることができる
貴重な機会となりました。

遠足への期待が期待以上に
ワクワクした感覚です。

気分転換という言葉では
表現しきれないぐらいに自分自身と向き合い、
自分自身をリセットすることができるいい機会となりました。

定期的に「自分の棚卸」として、
放電の時間として実施していきます。

禅メソッドマスター 忠内 樹